「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書を受けて発表された「基本的方向性」に対する会長声明

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書を受けて発表された「基本的方向性」に対する会長声明

2014年5月15日,首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下「安保法制懇」という。)が報告書を提出した。
これを受けて同日,首相は今後の検討に関する「基本的方向性」を発表した。その中で,憲法が掲げる平和主義を守ると述べるとともに,安保法制懇の報告書で示された集団的自衛権の行使容認についての二つの考え方のうち,「個別的か,集団的かを問わず,自衛のための武力の行使は禁じられていない,また,国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上,合法な活動には憲法上の制約はないとする」考え方(いわゆる芦田修正論)は,「これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない」として政府として採用できないとした。しかし,他方「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき,限定的に集団的自衛権を行使することは許される」という考え方については,従来の政府の基本的立場を踏まえた考え方であると強弁し,「今後さらに研究を進めていきたい」とした上で,「憲法解釈の変更が必要と判断されれば」閣議決定を行うとしている。
集団的自衛権は,日本が攻撃されていないにもかかわらず,実力をもって他国(同盟国等)への武力攻撃を阻止しようとするものである。限定的であれ,日本が攻撃されていないにもかかわらず我が国が集団的自衛権を行使すれば,相手国との間で全面的な戦争になり,自衛隊員が戦闘の中で人を殺し殺されることになるだけではなく,相手国が我が国を直接攻撃することも覚悟しなければならない。首相は,集団的自衛権が行使された後,国民が直接被害を受ける危険性について,ことさらに無視している。集団的自衛権の行使容認という国民の生命に直接関わる重要事項について,主権者たる国民の議論は不可欠である。
また,「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき」という限定は,「可能性」の判断を時の政府に委ねるもので,何の限定にもなっていない。同様に,被害国からの援助要請や必要最小限の実力を行使するというのも国際司法裁判所が明示している集団的自衛権の行使要件そのものであって限定の意味を有していない。その上,安保法制懇は,首相の私的諮問機関であって,首相の思惑に沿う結論ありきの報告書を作成したに過ぎず,当報告書において意義ある議論が尽くされたとはとうてい評せない。
そもそも,立憲主義は,人類の過去の経験に鑑み,時の政治権力がその権力を濫用しがちであるという権力に対する疑いや不信を前提として,憲法によって国家権力の行使をその制限下に置き,権力の濫用を防止することによって個人の人権を保障することに意義を有している。当会は,憲法改正手続をとることなく,閣議決定という国民の議論を抜きにした政府の一方的な憲法解釈の変更によって,憲法の基本原理に関わる重大な解釈の変更を行うことが立憲主義に著しく反するとして,2014年(平成26年)5月14日「集団的自衛権行使容認に反対する会長声明」を発表した。
また,日本弁護士連合会も,2013(平成25年)年5月31日の総会における「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」に続いて,2014年(平成26年)5月30日の総会で「重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し,立憲主義の意義を確認する決議」をし,その中で近代自由主義国家が共有する立憲主義の意義・重要性について,日本国憲法のもとにおける徹底した恒久平和主義とともに確認をしているところである。
集団的自衛権の行使を容認することは,これまでの日本国憲法の下で,戦争をしない平和国家である日本という国の在り方を根本から変えることになる。今回示された首相の「基本的方向性」は,「あくまでも憲法解釈の変更を閣議決定により行う」という首相の姿勢を鮮明にするものであり,この姿勢は,政府や立法府による権力の行使を憲法の制限下に置き,権力の濫用を阻止しようとした前記立憲主義に著しく反するものであり,立憲主義を踏みにじるものである。
したがって,当会は,重ねて,憲法改正手続をとることなく,政府の憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することに強く反対するものである。

2014年(平成26年)6月11日

岡山弁護士会
                        会長 佐々木 浩 史

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