ハンセン病「特別法廷」最高裁判所調査報告に関する会長声明
1 最高裁判所事務総局は、2014(平成26)年5月、「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査委員会」(以下「調査委員会」という。)を設置し、最高裁判所が司法行政事務として過去に行ったハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査を実施した。かかる調査を踏まえ、2016(平成28)年4月25日、「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査報告書」(以下「本報告書」という。)を公表した。
2 本報告書は、1948(昭和23)年から1972(昭和47)年までの間、ハンセン病に罹患しているとの一事をもって開廷場所の指定を行うという定型的な運用が行われていたことを明らかにした上で(以下、ハンセン病を理由として指定された法廷を「特別法廷」という。)、そのような運用が、遅くとも1960(昭和35)年以降は裁判所法第69条2項に違反していたことを認めるものである。
本報告書において、最高裁判所による誤った指定の運用が、ハンセン病患者に対する偏見、差別を助長することにつながるものになったこと、当事者であるハンセン病患者の人格と尊厳を傷付けるものであったことについて、その責任を認めて謝罪の意を表明したという点においては評価できる。
しかしながら、本報告書が特別法廷の違憲性を認めなかった点については、なお不十分であると断じざるを得ない。
3 当会は、本報告書の公表に先立つ2016(平成28)年3月9日、「ハンセン病を理由とした最高裁判所の「特別法廷」指定に関する会長声明」を発し、特別法廷の「対審及び判決」には、到底国民一般の傍聴の自由が確保されていたとは認められず、最高裁判所による特別法廷の指定行為は裁判の公開原則(憲法第82条1項、第37条1項)に違反することを指摘してきた。
本報告書の公表に先立って、「ハンセン病を理由とする開廷場所指定の調査に関する有識者委員会」(以下「有識者委員会」という。)からは、「ハンセン病療養所は、それ自体が激しい隔離・差別の場であり、その内部における法廷も一般社会から隔絶された隔離・差別の場であったといわざるを得ない。そもそも、療養所自体一般の人々に近づきがたい、許可なくして入り得ない場所であるから、その中に設けられた法廷は、さらに近づきがたいものであった。」との指摘がなされた上で、特別法廷が裁判の公開原則を満たしていたかどうか、違憲の疑いがぬぐいきれないとの意見が出されている。この有識者委員会の意見はいたって正当なものである。いわゆる瀬戸内三園(長島愛生園、邑久光明園、大島青松園)は、いずれも離島にあり、当時は自由な行き来などなかったのであるから、一般人が傍聴することは著しく困難であった。
さらに、本報告書により、感染の危険性等による特別法廷指定の必要性について個別的具体的に判断することなく、ハンセン病であるというだけで機械的定型的に開廷場所を指定するという運用が行われていたことが明らかになった。そのため、裁判所法違反であると同時にハンセン病患者への合理性を欠く差別であり、憲法第14条1項違反である。この点については、有識者委員会も指摘しているところである。
4 ところが、本報告書では、有識者委員会の意見を真摯に受け止めることなく、裁判所の掲示場及び療養所の正門等への掲示を指示した内部文書の存在や、実際に傍聴をされた幾つかの事例の存在を理由として、特別法廷の公開原則違反の違憲性を認めなかった。
また、本報告書では、裁判所法第69条2項違反と認める過程で、最高裁判所が特別法廷指定につき定型的な運用を行っていたと認め、同運用は、遅くとも1960(昭和35)年以降、合理性を欠く差別的な取り扱いであったことが強く疑われることに言及している。しかしながら、憲法第14条1項違反については、検討自体が避けられている。特別法廷の指定行為は、単に「ハンセン病患者に対する偏見、差別を助長することにつながるもの」であるにとどまらず、最高裁判所がハンセン病患者に対する偏見、差別の主体であったことを十分に自覚すべきである。
5 当会は、最高裁判所が特別法廷の違憲性を認めなかったことにつき強い遺憾の意を表明するとともに、岡山県において特別法廷での裁判が20件も行われたことが判明したことを受けて改めてこれらを見過ごしたことについて反省の意を表明し、今後もハンセン病回復者が真の人間回復を勝ち取るまで、あらゆる支援を惜しまないことをここに表明する。
2016(平成28)年7月13日